「気付いて、眼を覚ますだけ」 菅先生はそうおっしゃいます。 何に気付き、何から眼を覚ますのか。 愛に気付き、形だけの世界から眼を覚ます、 こう書くと、ああ、何だか分かるけど何も解らない、 そういう感想をお持ちになられる方がほとんどではないでしょうか。

「言ってることはなんとなく分かるけれど……」と。

なんとなく頭で分かったことは、「心」に響くことはあっても、 その奥の「意識」に触れることは出来ません。 表面上を言葉が素通りするからです。

この「神裡」のコンテンツ内で皆様にお届けしたいことを言葉にする時、 まず第一に、当たり前に刷り込まれている言葉の意味やイメージを、見直す必要が出てきます。 気付いて眼を覚ます為に、知っておきたい言葉の本当の意味、その大きなものの一つが、「意識と心」です。

M&Mが使う「意識」とは、一般社会で広義に使われている「意識」とは違い、 もっと深い意味を持っています。 単純に頭に思い浮かべて思考したり、五感で認識するものではありません。 それは、経験や知識や常識等に一切囚われることのない、 まっさらな「意識」であって、「心」とは異なる部分にあります。

心で感じる事が意識だと思う方も多くいらっしゃるでしょう。 そもそも、意識も心も同意語であって、 しっかり使い分けている方の方が少ないように思えます。

神裡のことを伝えるとき、 「意識」とは、心の奥底に誰もが持っている「魂」です。 「心」とは、五感や記憶によって生じる喜怒哀楽の「感情」です。

今まで使っていた言語の意味を少し頭から外してみて下さい。 意識とは魂です。心とは感情です。全く異なるものです。 そう理解した上で、心についてもう少し考えてみましょう。

私達が心で感じているものは、この世界において生じる、人生の「温度」のようなもの。 温かさや冷たさ、人生の物語には温度があります。それがすべてだと思い込んでいる人々は、 「たった一度の人生なのだから、快適な方が良いだろう!」と温かさを追い求めます。

ここでいう温かさの基準は、当然五感を満たすものです。心が五感から生じているからです。 目に見える物質的な豊かさ、人からもらえる賞賛や名誉、そういったものに固執する心がここから生まれてきます。

心は変容しやすく、影響を受けやすい。 澄み切ったり濁ったり、色々です。

魂である意識は、感情である「心」の奥底に眠っています。 当然、心が濁っていれば奥底は観えません。 心が澄み切っている状態でなければ、魂に触れることが出来ないのです。 ではなぜ魂に触れる必要があるのでしょうか?

もし、ここでお話しする物質的な温かさが手に入らなかったとき、人々は苦しみに直面します。 温かさを手にするどころか、冷たさばかりで凍えて死にそうな方もいらっしゃるでしょう。 多くの人が、それぞれの温かさと冷たさに振り回され、そこから妬みや憎しみが生まれてくる。 温かさの奪い合いが始まり、傷付け合う世界へ向かってしまう。

魂は本来、冷たさや温かさに左右されない不動の幸せへ向かいたいという願いを持っています。
だからこそ、その魂の声に気付き、触れる必要があるのです。


M&Mは、人生の場であるこの「形の世界」と、眼を覚まして観える「形ではない世界」の、 架け橋としての役割を担っています。 天空から光が射し、手を伸ばして掴みたいと望んだ時に、 そっと下から持ち上げて手助けができるような、そんな存在です。

求めるのも、掴むのも、あなた自身。

このコンテンツのひとつひとつが、ささやかなステップになることを願っています。









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