医療の道を志し、施術師として生きていく一方で、
長年、「私とは何か」についての自問自答を続ける。

「世に溢れる争いをすべてなくしたい」
理不尽なことを許せないその正義感から、
10年間にわたって拳法の修練を積み、
強くあることの本当の意味を学ぶ。
また同時に、精神修行のための密教を行ずる。

後に、精神世界の師匠となる知花敏彦氏に出会い、師事。

その教えを元に、自身でも探求を重ね、
神裡(しんり)の世界を体感するようになる。

地球ヒーリングとして、
生命全体に関わるヒーリングを行う一方で、
個々に対するヒーリングや、
神裡を望む人たちへの講話を、無償で提供している。

裡なる人 菅 昭良のブログ






優しさとは何か、癒しとは何か。

感情や道徳である「優しさ」は「人」の問題ですが、
自然治癒力を引き出す「癒し」は「人の存在」の問題です。

薬もオペも必要としない手技療法は、なぜこんなにも人を改善出来るのか。なぜ人を癒せるのか。
自然治癒力を深く追求することで観えてくるものも、先生が示唆する神裡へと繋がっています。

人の存在とは何か、私とは何か。
それを識らずに生命と向き合うことが出来るでしょうか?

「正体」と人々は良く言います。
ですが、人間の正体は何なのか、その真理を望み、本当の自分を識る人は少ないのです。

大きな湖があるとします。その水をコップで掬ったとします。
大きな湖の中でも、コップの中に移され湖から分離しても、正体は「水」です。
そして分離の原因である「コップ」が、私達の身体なのです。

長い間コップに収まっていると、私達は自分が水である事を忘れ、自分は「コップ」だと思い込んでしまいます。
そして、「いかにコップを良く見せるか」が、幸せの基準になってしまうのです。
コップが壊れた状態が病気ですから、私達の正体である「水」には、病気など存在しません。

先生が観ているのは、この「水」と「コップ」。

では、この分離する力とは、何か。
私達の出所となる「湖」とは何か。

これが「裡なる人」である、先生が伝えたいことなのです。


神裡のお話をされる時の情熱と、ひとりひとりに向き合う時の優しさ。
私達に一番適した発信と受容のバランスで、 神裡の光がすべての人に注がれるように、 先生は思考ではなく、裡側から示唆されます。

私が凄いのではない、
私がやっていることではない、
それは傲慢に繋がるから……。

すべては裡側の力でしかない。


至福の聖者と言われた、インドのマヘンドラナート・グプタ。(1854-1932)
グプタは小さな学校を経営し、学課の他に「愛の化学」を伝えた、と言われます。 高等学校の校長という地位にいながら、決して偉ぶらず、師に尽くし、裡側に生きた人です。

真っすぐであり、かつ謙虚であること。
まるでグプタのように、菅先生の在り方そのものが、教えと導きに繋がっています。