誇張法と齋藤巳乗先生


『誇張法』はオステオパシーと呼ばれる手技療法のひとつです。 オステオパシーは、アメリカ・ミズーリ州の医師、アンドリュー・テイラー・スティルによって創始されました。 日本においては、大正期に、カイロプラクティック(脊椎指圧療法)、 スポンディロセラピー(脊椎反射療法)と同様にアメリカから導入され、 指圧や整体など日本の手技療法に大きな影響を与えました。

ギリシア語のOsteon(骨)とPathos(病理、治療)の2つを語源とするオステオパシー。
骨のみを調整する手技とは異なり、骨格などの運動器系、 動脈・静脈やリンパなどの循環器系、脳脊髄液の循環を含む脳神経系など、 解剖学的あるいは生理学的な広範囲の医学知識の元に、手を使って治療を加えます。

オステオパシーは、そのままでひとつの哲学です。
身体全体をひとつのユニットとして考え、自然治癒力を鼓舞することを主眼とするなど、 「人の存在をどう捉えるか」という非常に深い問題が、根底にあります。

私達は何処からやって来て、
私達はいったい何者で、
そして私達は何処へ行くのか。


菅先生は、日々、この主題と向き合い、真の癒しとは何かを求めてきました。

誇張法と呼ばれるオステオパシーは、オステオパシーの中でも特にソフトな施術である頭蓋オステオパシーを、 全身に応用した療法です。創始者は福島の「齋藤 巳乗(さいとう みのる)先生。(写真) 日本ではトップのオステオパシストとして、カリスマ的存在でした。






誇張法は、骨折や深い怪我のように、緊急に手術を要するもの以外は、 どんな症状にでも対応出来る「最高峰の手技療法」だと菅先生はおっしゃいます。


結果を出せれば、整体でもカイロでも何でも良い、
けれど当時、齋藤先生以上に結果を出せる方は居なかった……。



観る、訊く、感じる、理解する、訓練する、そのすべてを学ぶ方の意志に委ね、 求める方には惜しみなく技術を与えた齋藤先生ですが、指導は非常に厳しいものでした。 そしてご自身でも、手の感覚を上げるため、もぐさで指を火傷させた状態で訓練する事もあったそうです。
そんな齋藤先生の奥深いところに流れる寛大さと優しさに惚れ込んだ菅先生は、 昼夜問わず、誇張法、そして齋藤先生と向き合ってきました。

「卒業です」

齋藤先生のこの一言を受け取ったのは、施術師の中でたった一人、菅 昭良先生だけです。


最初はその意味が分からなかった。
そして、自分自身の誇張法に納得出来るようになったのは、
齋藤先生が去られてしばらくしてから。

晩年の齋藤先生の指導は特に厳しく、
それでも私が個人的に近付くと、
厳しいお顔が少しだけほころび、
それを見るとホッとしましてね……。



齋藤先生が体調を崩され倒れられた際、「息子です」と、最後まで病室で施術をしたのも、菅先生です。

「治せないものがあってはなりませんよ」

恩師である齋藤先生から言われたその言葉を全身全霊で受け取り、恩師である齋藤先生を施術し続けた菅先生。

医師がもう上がらないと言い切った腕が改善し、動かせるようになったりと、 一時は快復の兆しを見せましたが、当時の震災の影響もあり、残念ながら齋藤先生は肉体を去られました。 ですが、お二人の中に流れているマインドは、この時にしっかりと繋がったのです。

齋藤先生のお話をされる時の菅先生は、屈託のない良い笑顔をされます。 悲しみや悔しさは微塵もありません。大好きで仕方がない、そういった明るい笑顔です。 きっと菅先生の中では、現在過去未来に関係なく、今この瞬間、常に、齋藤先生が側におられるのだと思います。

誇張法は、大きな優しさを持った療法です。
それは考案者の齋藤先生、そして引き継いだ菅先生、双方の大きな愛が詰まっているからです。


形の世界でお世話になった師匠が、この世を去りました。
寂しさはありますが、悲しみはありません。
師匠が倒れて、裡側の私は師匠が去ることを悟る。
しかし、外側の私は、完全に師匠を治す! とあがく。

裡側からくることは、間違いがない。

解っている!
解っているが、あがきたくなる。
結果、師匠はこの世を去った。

しかし、あがいたことに悔いも反省もない。
あがいて師匠を治そうと行動したのは、師匠の表の意識への礼儀。

師匠の魂は、去ることを決めていたはず。
それでも私はあがく!

このあがきの中に、沢山の学びがあった。
これからも、私はあがき続ける!

正当にあがけば、道が開けてくるだろうから。



(2012.6.9 菅先生のブログより)














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